夏目漱石(本名 夏目金之助:1867(慶応3)年〜1916(大正5)年)は「吾輩は猫である」や「坊ちゃん」などの小説の著者で有名ですが、医師の方達(特に精神科医)の間では病跡学の上に於いても興味深い人物の一人です。「世の中で天才と呼ばれる人達の9割は何らかの心の病いが有りそれを克服する過程で何かを創造する」という話しを本学会(第35回 日本森田療法学会)でも聞きました。(演者:東洋英和女子学院大学・横浜尾上町クリニック 山田和夫先生より)
2016年にNHKの土曜ドラマで放送された「夏目漱石の妻」(連続4回)や2005年TBSの新春ドラマ特別企画「夏目家の食卓」(全1話)などテレビでも、かなりの癇癪(かんしゃく)持ち、ワガママ、気難しい、亭主関白、ストレスで胃が痛くなるなどのパーソナリティーがクローズアップして描かれています。
漱石は、俳人の正岡子規とも親交があり、帝国大学(東京帝国大学)卒業後に愛媛県で中学校の教師をした後、熊本の第五髙等学校で英語教師を務め、その後イギリスのロンドンに留学します。
その頃(イギリス留学中)に心の病が発症したようで、ドラマでは「イギリス人全員が自分を馬鹿にした目で見ている」と言っています。現在の病名では「統合失調症」や「神経症」「双極性障害」「うつ病」などの症状が出ていたのではないかと言われており、歳を取ると共に病弱になったとの事で、身体的な疾患としても胃潰瘍や糖尿病、肺結核、痔など病気のオンパレードだった様です。(その割にはビフテキや中華料理、生卵などが大好きで、治療中(療養中)にも拘わらずアイスクリーム製造機でアイスクリームを作って食べたりジャムやクリームパンなどの甘いものが大好きで沢山食べていたそうです)
東京に戻って来てからだと思いますが、ドラマでは妻の鏡子さんが東京帝国大学医科大学の教授 精神科医 呉秀三(くれしゅうぞう)に漱石の診察結果を聞いているシーンが有り、「《追跡妄想》と《重い神経症》の症状が見受けられイギリスで発症したものと思われるが、以前からその様な因子を抱えていた可能性がある」と言われます。
ただ、その時の鏡子さんの反応が興味深く、今までは漱石が自分達に当たり散らかす原因が自分に有ったと思っていたけど、それが違っていた(病気だった)と安心して喜び「病気なら家族は看病しなくては」とポジティブに家に戻って行ったところは印象的でした。(それ迄は一時別居状態でした)
他にも「呉先生に診てもらったらどうですか」と言うセリフも有ったと記憶していますので、夏目家の「かかりつけ医」は尼子四郎(あまこしろう)で、漱石の心の病の主治医は日本の精神医学の第一人者である呉秀三だった様です。
森田正馬は呉秀三の門下生だったのですから、漱石(当時46歳位)が1913(大正2)年に酷いノイローゼを再発した時に(ウィキペディア フリー百科事典より)森田(同39歳位)が呉(同48歳位)のサポートをする機会が有ったら面白かったかもしれない等と想像してみました。しかし、私の記憶では、ドラマでは漱石が「医者は嫌いだ〜」と言っていましたので事実であれば、精神療法の適用は難しかったかもしれません。漱石が素直に入院して森田療法を受けるはずもなく、森田療法確立前の時期でもありますので・・・。
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